This Archive : 2007年03月

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ローマ入り

2007.03.25 *Sun
 先週今週と、まあまたいろんなことがあり、ローマに来ていました。

 負のエネルギーの伝染力とは非常に恐ろしいもので、先日の事件以降、選手のコンディションは厳しく、その後の試合においてただひとつの勝ち星をあげることも出来ていない。
さらには膝十字靭帯断裂というスポーツ選手にとって非常に重篤な事故により、大事な2人のアタッカーを一時的に失うこととなってしまった。
 1人は常にスタメンとしてプレーしてきたジュゼッペ・コルッチ。もう1人はご存知のとおり、われらがモリ。初ゴール後、調子よく行っていた時期での事故だけに、本当に悔やまれる。とにもかくにも、この2人を一刻も早く取り戻すことは、チームとして最も大きなミッションのひとつだ。
 先週行われた、ローマはVilla Stuart(ヴィッラ・ストゥアルト)での手術は、Dr.マリアーニ執刀のもと無事大成功に終わった。ここはドイツ大会前のトッティをはじめ、各地からトップ選手が集まるイタリア有数のスポーツ医療機関。僕らはリハビリのため当面こちらに滞在することになった。
 術後状態はすこぶるよく、リハビリも着々と進んでおり、このまま行けば順調に復帰が出来る見込み。来週にはコルッチも合流する予定で、しばしのローマ生活も多少にぎやかになるだろか。
 
 3年前の1人旅ですっかり気に入ってしまい、2度目は日本から来たひきっつぁんとだいごろうをつれて、3度目は母と、今回は2年ぶりとなるローマ。規模、風格ともに首都としてふさわしいこの街は、来る度に新しい刺激を与えてくれるから大好きだ。
 さて、知ってのとおり僕は食べることが趣味なので、なにはともあれローマ料理だ。ローマ人が連れて行ってくれたローマの一般的なレストラン。郷土料理、子羊のオーブン焼きにローマ産のアーティチョーク。アーティチョークはイタリアで大好物になったもののひとつ。うまかった。
今のところスパゲッティーはどの店でも固め、いわゆるアル・デンテで、パンチェッタは常にカリカリに仕上がっている。ローマ人はどうやら歯ごたえ感にこだわるらしい。
ところで日本でよく見るパスタメニューは、カルボナーラやアマトリチャーナなどのローマ名物が多いことにも気が付いた。なんとなく身近なイタリアンという印象を受けたのも、そのせいなのだろう。
個人的にはカターニャで食べるパスタやパンのモチモチ感が好きだけど、ローマ料理、まだなにか奥があるはずだ。

そんなわけで、いままでイタリアで食してきた各地郷土料理の印象でも。

・ロンバルディア州
 いわゆるミラノ料理といえば、サフランのミラノ風リゾット、これでもかと言うくらい叩き伸ばされた子牛のミラノ風カツレツ。その他いろいろあるものの、ミラノの食の印象は貧弱。
クレモナで食べた白トリュフのリゾットは絶品だった。名物、果物のからし漬け“モスタルダ”はまさに珍味。

・アオスタ州
子ヤギのグリルやサラミソーセージの山料理に、オイルフォンデュ、北部名物とうもろこしの粉料理ポレンタ、じゃがいものペースト等、スイス国境の料理はバター頻度が高く、胃に重たい。

・ピエモンテ州
トリノが州都。子牛のtartar(生肉料理)やひき肉詰のラビオリ等、赤ワイン名産地らしい料理。黒トリュフやポルチーニ茸の存在感も大きく、レベル高い。チョコレートも有名。唐辛子入りチョコレートクリームを塗った牛ステーキも、興味本位で試してみたい。

・リグーリア州
北部ながら海沿いの温暖な地域で、パスタジェノベーゼ等のバジリコを使ったさわやかな印象。魚料理もおいしい。けどまだよく知らない。

・エミリアロマーニャ州
 世界的銘柄パルミジャーノ・レッジャーノチーズの産地、パルマ、レッジョ・エミーリアは生ハム等の加工品も天下一品。ボローニャのミ-トソースなど、名物多い。おいしいけど個人的には飽きがくる。

・ヴェネト州
 ヴェネチアの印象、イカ墨やツナの海辺パスタはうまかった。ヴェネチア人は行きつけのBARを何件もはしごしては、発泡酒プロセッコを片手に一品料理の立ち食いをする。独特な習慣が面白かった。ヴェローナはまたまったく違う印象。まだなんとも言えない。

・トスカーナ州
 フィオレンティーナTボーンステーキにはじまり、牛の胃袋のトマト煮込み”トリッパ”、種類豊富な豆料理などの味濃い料理を、塩抜きで焼きあげたフィレンツェパンといっしょに食べる。シエナ発、イノシシと豚の掛け合わせ”チンタセネーゼ”のサラミ+キャンティワインは絶品。とか言ってみる。最近ようやく酒の味がわかるようになったからね。相変わらずのめないけど。

・ラツィオ州
 ローマ料理にはこれからに期待。

・カンパーニア州
 ナポリ湾から上がる魚介類は、かれらの食卓を豊富にする。
ヴェスーヴィオ火山から流れる清流、火山質の大地でなるトマトと小麦、水牛モッツァレッラチーズの産地サレルノ、食に貪欲なナポリ人、恵まれた気象条件、これらの好条件がそろってはじめて出来るナポリのピザは、もううますぎて説明できない。市場でぶっきらぼうに売りさばかれる揚げピザも、あごの動きを止めるうまさ。
ナポリの水でいれる、なぜかクリーミーなコーヒーはもはや異次元。
もう一度行かねば。

・プーリア州
 アルベロベッロで有名な、ギリシャを対岸に眺めるイタリア最南端の土地。レモンクリームのショートパスタ、肉料理も柑橘の香りでデコレートされ、さわやか。たまに甘いパスタが出てきたりと、いまだに不思議な印象が残る。

・シチリア島
島の東側カターニャ近辺でしかお目にかかれない、乳液状のジェラート”グラニータ”。真っ白いアーモンドのグラニータを、黒いコーヒー味のグラニータでにじませて、ふわふわのパンに挟んで食べる。朝はこうして始まる。
リゾットの中にミートソースやツナ、ほうれん草などを詰め込んで丸ごと揚げたアランチーノ。ハム、モッツァレッラチーズとトマトソースをパイ生地で包み焼いたチポッリーナ。これらが店前から熱気を上げるのがシチリアの風物詩。トマトのパスタには、パルミジャーノチーズではなく塩リコッタをすりおろす。これにはしばらくはまってしまい、いまだにやめられない。
ここでは新鮮な魚介類が手軽に手に入るため、生牡蠣やえび、様々な近海魚を生で食べることができる。新鮮な魚は一旦ミラノに集まると聞いていたけれど、まったくもって説得力を欠かされる。名物の馬肉ステーキも柔らかくて後味がよい。
赤色の果肉で有名なオレンジ”アランチャロッサ”、味はそれよりも上とされる銘柄”タロッコ”のおかげで、オレンジの概念が180°変わった。いまや発色ワックスで手がピカピカになるアメリカ産のオレンジが恨めしい。
ここでは、まずいレストランを探すほうが難しいかもしれない。


ところで今週は日本で開花宣言があったらしいですね。なんだか宣言日を間違えて担当者が首になったとラジオで聞きましたが、本当?イタリア人アナウンサーは苦笑してたけども・・・。

さて今日は快晴日曜日、ローマの休日をぐるぐる運転してきます。というわけでBuon’appetito、よいお食事を!
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シチリアの受難

2007.03.13 *Tue
2007年2月2日金曜日、週末には最大のお祭り“サンタ・アガタ祭”を控えたわれらがカターニャは、町の中心地にあるアンジェロ・マッシミーノスタジアムに、同じシチリア島にして最大のライバルであるパレルモを迎えた。

北西部にある州都、パレルモは、サッカーにおけるここ数年の成功も含め常にシチリアの象徴として在り続けている。エトナ山のふもと、東海岸にはイオニア海を臨むカターニャは、常にそのパレルモに第1の座を譲ってきた。23年振りにセリエAの舞台に臨んだおらが町のチーム、これまでもがあのパレルモに遅れをとろう事など、とても受け入れられることではない。

両チームともに、ヨーロッパ・チャンピオンズリーグ挑戦圏内の好位置につけたこの試合は、シチリア・ダービーと称され、緊迫した空気に包まれていた。
収容人数をはるかにオーバーした客席は、熱狂的なサポーターが居座る、北と南の“クルヴァ席”を先導にいつにも増して熱気を帯び、無数に打ち上げられた花火がスタジアム内のボルテージを最大まで引き上げた。
いよいよお祭りの始まり、すべてがうまく進んでいた。ただひとつ、鉄柵と網で覆われたアウェー側、パレルモサポーターの席が、不気味にもぬけの殻だった事を除いては。

試合は始まった。ホームにて絶対的な強さを誇るカターニャは好調に滑り出す。試合は両者とも引き締まった内容で前半を終えた。そして後半開始まもなく、パレルモが微妙な判定の恩恵によって先制ゴールをあげる。いつのまにかアウェー席は満杯のパレルモピンクで埋め尽くされていた。それに刺激された“クルヴァ席”から、カード型爆弾と発炎筒が飛び交い始めたのは、まもなくのことだった。状況は判断力を失い、そのうちのいくつかがピッチ脇に転がり込み爆音を上げた。

事は起こった。

どういうわけか、クルヴァ側からものすごい勢いで人が散り始める。幾人かの選手はシャツで口を覆い始めた。いったい何がおきているのか。ほどなく、のどは辛く、目がしばたたく。ピッチ脇に居た僕が、それがおそらく催涙ガスであったことに気が付くまでに、そう時間はかからなかった。

試合はどれくらい中断されたか、長い協議ののち、ともかく残りの試合を終わらせることが決定され、試合は再開された。その後1点を返すものの、今度はあろうことか、手によって決められたパレルモのゴールが認められてしまう。今夜のジャッジミスは明らかだった。
試合は1-2の敗北で終了した。

異様な夜だった。更衣室内は納得のいかない判定に騒然となり、外では理性を失った暴徒と機動隊が衝突。出口の外は催涙弾の影響で、まともに目を開けていることも出来ない。
爆音と独特の異臭のなかを、僕らはうまい具合に抜け出てきた。


警察官1名死亡。僕らは夕食のテーブルでこのニュースを聞いた。その後の報道によれば、17歳少年がスタジアムに隠されていた角材で警察官の腹部を強打し、肝臓が破裂。まもなく死亡したとの事。
しかしその裏では、スタジアムの門番係が凶器を隠し持ち、興奮剤によって若者たちを扇動していた事実があった。この門番係と暴動に関わった複数名はすべて逮捕。シチリアマフィアが手をひいていたことも明らかになり、彼らが威力を顕示した結果ともなった。
そしてイタリアオリンピック委員会とリーグのフェデレーションは、その後国内すべてのサッカー活動の無期延期を表明。委員会長の「もうたくさんだ。しばらく考えさせてくれ。」といった表明会見は、さながら権力者を演じる映画俳優のそれにも見えた。

結局は再開されたリーグだったが、フェデレーションはすべてのスタジアムの安全基準改善を義務付け、カターニャは残りシーズンのホーム戦すべてを中立地にて無観客で行う裁定を言い渡された。これによってクラブが被る経済的被害は、試算だけでも数億円にのぼる。新参チームにとっては致命的な数字である。
さらにすべてのスタッフと選手は、半年間にわたる遠征の連続という強行スケジュールを強いられることになった。その他も、末端の僕らがじかに感じている小さなしわ寄せも、決して少なくはない。

シチリアが最も勢いに乗っていたなかでのこの事件は、過去のサッカー暴力事件史上、例を見ぬ重たい裁定となった。一人の命が失われたことを軽視することはできない。しかし、国営放送RAIで行われた特番にて司会者が最後に言った一言は、イタリア社会に根付く複雑な問題を提起していたとも言える。

「みなさん、この2チームがもしシチリアのチームではなく、また今シーズンのここまでの好調を保っていなかったならば、はたして同じ結果になっていたのでしょうかねぇ。」









さて、最近起こった二大マイ出来事のふたつめを書いてみたら、なんだかめんどくさい話に仕上がってしまった様です。要は催涙ガスってからいんだよ、と言いたかったわけで。

こんどはシチリアのオレンジがうまいだとか、そんな話にしてみようかと。
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ぼちぼちはじめます(近況)

2007.03.07 *Wed
 みなさんお元気でしょうか。
年末に帰国してから、気が付けばもう2ヶ月以上も経ってしまった。

 今回は帰国時期が年末だったこともあり、長らく会っていなかった友人たちと久しぶりに再開することができました。自分にとって一番良い思い出のある学生時代の友人と会えたことは、本当にうれしかった。いつになっても集まってくれる仲間の存在は本当にありがたいものです。みんなありがとう。
 以前やっていたHPをほったらかしにしてからもうどれくらい経つのか、およそ地球の反対側に浮かぶ島に住む自分を忘れずにいてくれた仲間がいてくれたこと、せめてなにかの発信をすることくらいでこのお返しはするべきだろうと考え、このBlogをやることに決めた。

 さて、どこから書いたらよいものか、時間軸を前後しながら、思いついたところからちょっとずつ出していくことにしましょう。

 昨年の夏のこと。数シーズン前にはセリエAでプレーしていた、とあるミラノ近郊のチームにて僕はテラピストとして働いていた。しかしオフシーズンに入りチームが突然の身売りを発表。シチリアに行ってみないかという話をいただいたのはその矢先のことだった。
 プレシーズン期間、とりあえずチームに合流してみたものの、イタリア本土ともまた違う文化を持ったシチリア独特のルールに閉口。ミラノに3年かけて築いたものもあり、シチリア行きの決断は正直、悩みに悩んだ。

 最終的に僕はここに残る事を決めた。進む先が困難であることは目に見えていたけれど、それを打開していくことで自分を鍛え直そうと考えた。なによりも、僕がシチリアに渡る原因となった張本人、僕はこの“モリモート”という18歳の少年にすっかり惹かれてしまったから。

 僕は生まれて初めて、通訳という肩書きで仕事をすることとなった。何が何でもテラピストとしていたかった自分にとって、これはまさに大きな賭けだった。シチリア訛りは思っていた以上に聞き取り難く、しばらくは周りに何もない丘の上のホテル住まいを強いられ、他テラピストたちの仕事をただ黙って見守る毎日を過ごした。

 副監督から坐骨神経痛の相談を受けたのは、3ヶ月も経ったある日のことだった。

 10月、僕は晴れてチームのテラピストとして迎え入れられた。キャプテンのPantanelliに言われた言葉、 Benvenuto alla nostra squadra! 晴れて仲間の一員だな、と。
 僕はこの言葉を一生忘れない。

 そして年が明けた2007年1月28日、ベルガモにて行われたATALANTA戦、後半残り僅かの時間帯、まだ1点のビハインドを追っていた状況で少年は念願のセリエAデビューを果たし、なんとその3分後には右足で豪快な同点弾を決めてしまった!
 計らずも、アシストを決めたBaioccoのリハビリを僕が担当していたので、間接的なアシストとも相成った。
 ピッチに駆け込む瞬間はまるで自分のことのように心臓が高鳴り、ゴールを決めた直後は感情が爆発。今までのことが全てあふれ出て、気が付いたら僕はボロボロと涙していた。

その晩、彼は言った。
「きょーさん、おれ、なんかもう夢見てるみたいっすよ。」

 その後も少年は決して変わらない。もとのサッカーが大好きな少年のまま、今をしっかりと見据えて、ひとつひとつ、がんばるがんばる。彼の本当の強さはここにある。

 毎日、共に飯を食って、練習場に通って、悩んで、笑って、僕はいま、この13歳年下の少年からたくさんの事を学んでいる。先のことはわからないけど、今はきっと貴重な時を過ごしているに違いない。
 ただ明日も、いつもと変わらぬ一日を迎えることを。



 つづきは次回。また思いついたところから書こうと思っています。panchina.jpg

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